気のない本棚
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雨の中の猫
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  In Our Time Ernest Hemingway ハードカバーサイズ 小説(短編集)
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・総点

70

 点/100
   

 

   
 評価に関する詳細は
「採点基準について」をご覧ください。
寸評:何度読み返しても楽しめる本、読むことの贅沢さを味わえる本

 

 

その他の書誌情報:

 日本では『われらの時代』の名で知られる著者の初期短編集。翻訳は「ヘミングウェイ全短編 1」に収録されているものなどがある。もし非常な厳密性を求めないのであれば、一冊の本として出版されたものとしては著者のデビュー作と言うことができる。研究者以外にはあまり用のないことと思われるので詳細には書かないが、今の形になるまでには多少の変遷を経てきた本である。冒頭の"On the Quai at Smyrna"はScribner版から付け加えられたものであるし、収録されている短編には、その元となったスケッチや草稿のあるものも多い。
 本の体裁は少しこったものである。単純に短編を並べるのではなく、各短編を一つの章として、その章ごと、短編の前にごく短いスケッチ文をつけている。スケッチ文とその章の短編自体とは、少なくとも直接的な範囲での関連はない。また、短編それぞれも、Nick Adamsなど共通の登場人物を持つものもあるが、物語としてはそれぞれ独立している。約半分を占める、Nickの登場する短編だけにせよ時間的にまっすぐに並んでいるわけでもない。

 
コメント:

 小説には謎がある、と考える人たちがいる。その小説にとって鍵となるようなことが、その文章の中に隠されている。それを見つけ、謎を解くことが、即ち小説を読み解くということになる。またそれを間違えずにあたりまえに解けるということが、つまり「読める」人であるということになる。この場合、謎とは、作者が意図的に仕掛けたものを言う。あまり意図せず仕掛かってしまったものも中にはあるが、むしろ例外的である。どのように謎を仕掛けるかは、作家の個性や作品の質によってまちまちである。謎自体がどの程度、その物語の本質(あるいは、本筋と言った方がわかりやすいだろうか)にかかわりがあるかもさまざまである。「読める」読者はあたかもチェスを詰めていくように、物語を詰めていく。そして優れた小説とは、良質の謎が用意されたものということになる。

 わたしはこの考え方に、必ずしも全面的には賛成しない。(このように書くと、小説の読み方を教えてくれた方々に叱られそうであるのだが)というのは謎の難易やその多寡・有無と、本それ自体の面白さとは、あまり関係ないのではないかと思えるからだ。とはいえそれが小説である以上、この意味において謎のないものなど存在しないのは確かだし、少なくともそうした側面がある以上、どのような作家も多かれ少なかれこのことは意識して書いている。それをさらに進めると、小説の本筋よりも謎それ自体を重視して作ることにもなり、中には物語の筋立てとは何の関係もない、ただ謎であるためだけに仕掛けられたような謎の羅列に終始しているようなものまである。こうしたもののたいていはつまらない。謎が謎でしかないからだ。読者は不愉快にさせられる。こうした作者の独りよがりによる駄作の好例を知りたければピンチョンでも読めばよい。もちろんこんなものは、他にもいくらでもある。逆に物語上の、あるいはその物語を読者に語る上での、必然があって謎を仕掛けているものは、(もちろんその物語自体に魅力があることが前提になるが)たとえ謎の羅列と見えても小説として面白いものになりうる。とは言えそれができる作家はわずかだ。ジョイスその人は無論としても、ボルヘス、ナボコフ、ペレック、レム、その程度だろう。

 さて、前置きが長くなったが、ヘミングウェイもまた謎を好む作家である。ただし、謎を仕掛けるのが巧いとは言えない。巧くはないと言うのは、ピンチョンのように解く意味もないような小賢しい謎に終始するのとは違う。単純に言葉通り、謎を「仕掛けるのが」下手だというだけである。仕掛けに凝り過ぎて謎自体が鼻についてしまったり、あるいは一瞥しただけで誰にでもすぐにわかってしまうような謎ともいえない謎になっていたり、その加減を逆にまちがえて、一読しても何のことやら分からないというようなことになっていたりと、あまりスマートとは言えない。氷山の理論などともったいをつけても所詮はその程度のことである。とは言えピンチョンなどとは違い謎のための謎ではなく、小説の中で描きたいことを描くための仕掛けであるので、まだ読めないことはない。

 その中でこの短編集は、ヘミングウェイとしては上出来である。ややあからさま過ぎる嫌いもあるが、謎もまたそれなり首尾よくできている。一番誉めるべきことは、テーマと、それを描くためにしつらえられた謎とのからみが、非常によくできているということだろう。中でも、(これまた分かりやすすぎると文句をつける人はいようが)Chapter VI冒頭につけられているスケッチの仕掛けはなかなかのものである(なお、ここの部分について新潮版の翻訳には問題がある。これは訳書の紹介をする時にでも書こう)。個々の短編の質もまた悪くない。多少ばらつきがあり、(わたしは嫌いではないのだが)"My Old Man"などは瞭然と劣るだろう(若書きなのである)。優れているのは、まずなんと言っても末尾を飾る"Big Two-Hearted River"であり、主人公Nickの淡々とした行為の一つ一つに味がある。他には"Indian Camp", "The Doctor and the Doctor's Wife", "The Battler"が面白い。Nickを主人公としていないものでは"Soldier's Home"が大変よい。サイトの名前をとらせてもらった"Cat in the Rain"はやや劣る(わたしは好きだが)。

 後に自ら「氷山の理論」と名づけたヘミングウェイの技法とは、印象派の画家たち、とりわけセザンヌがしたように描くことであった。水は青い。それは当然だが、ほんの一瞬の光のきらめきのなかでは、青い水面の上で赤や黄色やさまざまな色の光が踊る。それを実際にキャンパスの上に描き込んだのはセザンヌたちが最初であった。そのほんの一瞬の光のきらめきを、ヘミングウェイは言葉で切り取ろうとしたのだ。文章は短く簡潔に。形容詞は少なく(その一瞬の中で物事を判断して形容する暇などあろうか。判断は読者にゆだねられる)。同じ理由で出来事の因果もはぶかれる。ただ出来事がならべられるだけである。表面に現れているものだけを、純粋に、記述すればそれでよい。その奥にあるものは読者に読み取ってもらえばよい。このようにして作られたヘミングウェイの文章作法は、後にハードボイルド文体としてさまざまな作家に取り入れられることとなった。その彼の文体が一番成功しているのは間違いなくこの短編集であろう。なお彼の謎がお世辞にも上手と言えないのはこの文体によるところが大きいのだが、後年になるにしたがって、とりわけ長編では、謎を仕掛ける技術についてはあきらめてしまったようなところもある。またそれをあきらめたことで文体自体にも精彩がなくなった。

 この本が出版されることで、後にノーベル賞を受賞し生涯第一線の作家であり続けたヘミングウェイの、小説家としての第一歩が踏み出されることになった。以降彼の芸術家としての名声は登り続けるばかりであったが、一方でその力量はといえば、これ以降急激に下降し続けることになった。極論すればこれさえ読んでおけば、ヘミングウェイの他の本は一切読むにあたらない(もっとも、彼を「面白い小説を書く優れた作家」であると誤解してしまう可能性はあるのだが)。

(2004/7/24)

 
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