気のない本棚
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雨の中の猫
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・採点することについて
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  本に点数をつけることに、正直わたしはとまどいを禁じえない。なぜ、自分の蔵書について公開するだけでなく、点数をつけるのか。その理由は至って単純なものである。つまり、グルメマップを作成した時に店舗に採点を行ったからだ。一方で採点を行い他方で行わないというのはきわめて片手落ちな感があるではないか。それはある種公平さの問題である。わたしは半ば義理によってやむにやまれず点数をつけるのである。

 ここに大変大きな問題が生じる。わたしは本のよしあしがたぶんわからない。食に対するものに比べて、本に対する審美眼にはまったく自信がもてないのだ。わたしは本のうまいまずいがわからない。第一本に関しては、わたしは相当な悪食なのである。枚数の多寡やその種類・ジャンル、世間で低俗とされているもの、高尚とされているもの、著者や出版社がどのような層を対象としているか、年齢、性別、職業、嗜好、その本がターゲットする目的、実用的なハウツー本であれ例えばプログラムの書き方であれ、ちょっとした暇潰しに読むべきものであれ、あるいは位を正して読むべきものであれ、またある程度信頼できる情報に基づいて書いているものから相当に胡散臭いものまで、本という体裁で手に入るものであれば何でも読む。そしてたいていの場合、面白くないとかつまらないとか口では言いながらも、それなり面白いところ読めるところを見つけて楽しんでしまう。ほとんどの本を自分なりに面白く読んでしまえるような人間にはたして意義のあるような点のつけかたができるのだろうか。

 だいたい本に点をつけることへの是非もある。それは食に対しても言えることだが、全ての本を一様に百分法で点をつけるということは、それに対して多様な価値を認めないということだ。もちろん本当に多様な価値を認めていないわけではない。だが本来比べようのないような異なる質や意義のあるものを無理やりに同じ数直線状に並べてうまいまずいを言うことは、つまりそういうことになる。福田和也ほどの人がそれも小説に限ってこれをやった時でさえその是非を自ら非であると認めた上でのことだというのに、果たしてわたしにそれを非とした上での意義をもたせることができるのであろうか。

 もちろん意義はある。本という大変に大きな枠組みの中で、ある基準に照らしたらこれとあれどちらが上であるのか、それを示すのことには少なくとも一定の価値があるだろう。ただしそのためには、例えば70点と判定された本は50点と判定された本よりも、必ず20点分だけ上回っているような精緻さが必要である。そのようなことがわたしにできるのだろうか。

 おそらく、それが面白いということと実利的に役に立つということとを除いては(器械の取扱説明書であるとか電話帳であるとかがこの場合の役に立つ本の例である)、優れた本であるとか価値のある本などといったものは存在しないのだ。世に言われている優れた本とは、誰かがこれは優れた本であると言ったことのある本に過ぎない。例えば本に価値があるのではなくその本を書いたことで著者が賞を受けたために、価値のある本とみなされているだけなのである。ならば面白さと実利的有用性以外の面から、例えばある文学本が文学史的にどのような価値をもつかなどを、採点することにどんな意義が生じえようか。しかし、ここで実利的にどのくらい役に立つかを点数で表すことにも意味はない。なぜならわたしの所有する本の九割九分までが実利的にまったく役に立たないからだ。であれば必然的にここで採点される価値とはその本の面白さということになるだろう。

 面白さ、というのもまた実に多面的な価値である。例えば辞書を読むことの面白さと写真の満載されているような旅行ガイドを読むことの面白さとを比較することはほとんど不可能なのではないかと思えるほどに難しい。語義を調べるためでなく辞書を読み、旅行するつもりもなくガイドを開くという程度の共通点しかそこには見受けられないだろう。だがそれでも、本来比較してはならないものを比較し、多様な面白さを認められるべきものを同じ線上に一列に並べるということをしようと思う。

 ただし面白さとはまったく個人的なものである。それはけっして一般的にはなりえないものである。ここで評価される面白さとは単にわたしが面白いと感じたというものに過ぎず、ほとんどの人はわたしと同じようにそれを面白いとは感じないだろう。わたしは自分が普通に読んだらこの程度に面白いと思うものを示す。また、自分にとって普通と感じられる読み方のほかに、普通の読みはしていないもののわたしにとって楽しめる読み方があったものは(これができるのが悪食たる所以である)、その読み方とともにそのことも必ずコメントの内に示すことにしよう。わたしが示したものを見る人はほとんどいまいが、もしもあれば、このように感じる人もいるという程度に受け取ってもらえれば幸いである。本に点をつけることで、わたし自身採点されることになるだろう。

 本においては、食においてあらかじめ作成したようなモースの硬度計を、作っておくことはしない。しないというより、正確には今のわたしにはできないのである。それは過去読んだ本をもう一度読み返し、過去通り過ぎた面白さをもう一度新たにする過程の中で自然にできてくるだろう。今のわたしにはこの漠然とした予感の他に言えることは何もない。

 

 

 

 

 

 

 

 

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