日記のようなもの
2004/7
このページの画像には、一部に*nankanoyume*さまの素材を使わせていただいています。
雨の中の猫
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7/23 「まごまご」
 
■ 行き場のない猫
 
 朝から調子が悪い。

 もういいかげん波が去ってくれるだろうと期待しているのに。

 彼女も行き場を失って、出口も見つからず、わたしの中をまごまごさまよっているようだ。

 せっかくだから名前をつけてやる。

 お前の名前は「まごまご」だ。きっとかぎ尻尾で、情けない顔をしたやせっぽちの不細工な猫だろう。

 名前をつけたらちょっと情が移った。

 
■ 夢
 
 なんか見た。

 いつものように悪夢だった気がする。

 内容は忘れた。

 
■ 高校時代のこと
 
 中高通った私立学校は医者の子弟が多かった。18までわたしが暮らしたあの巨大な村社会では、この高校を出て地元の国立大医学部に行かないと、たとえ東大を出て医者になっても開業することができない。地元の医師会がそうさせないのだ。なので同級生は地元の医者の息子ばかりで、みな医師を目指していたが、わたしは死んでもなりたくなかった。今思えば目指しておけばよかったのだが。幸い両親は高校出の教養もないサラリーマンと自営業で、医者になる必然はなかった。

 同級生たちはみなもう医師になっているのだろうか。医師を目指すものは多かったが、学力となにより人間性において、とても医師など向いていないようなのが大半だった。とくに高須クリニックの院長の甥子はひどかった。知障特有の雰囲気のある馬鹿面で、中身はその顔立ち以上に馬鹿だった。そしてその頭の出来以上に、性格の出来は悪かった。だが一度も留年することもなく無事高校を卒業していった。私立高校とはそういうものだ。彼よりテストの点はよく、それでも留年させられた生徒はいくらでもいるが、金を持っている家の子どもは絶対に留年しない。まして親がPTA会長ならなおさらだ。同じことは私立医大にも言える。彼らのような医者の子弟のための大学がいくらでもあるのだ。そこの教授たちが国家試験の採点もする。彼らの将来は輝かしく保障されている。

 
■ 病院嫌い
 
 医者と病院が嫌いだ。薬も嫌いだ。

 白状すると、いくらわたしでもこんな自分の状態が、ひょっとしたら病院に行くべきほどのものではないかという自覚はある。行ってみたら、その程度まだまだ甘い甘いと、医者に笑われる程度のものかもしれないが。

 高校時代のことがあって医者嫌いになったわけじゃない。その前から好きじゃなかった。もっともそのことで嫌悪感が強まりはしたかもしれない。

 まあでも医者が嫌いなのは誰でも同じなのかもしれない。思えば、つきあった女の子たちはたいてい病院に行くのをいやがった。一度あまりに生理不順がひどい子がいて、熱まで出したのでなだめすかして病院に連れて行こうと、背におぶったら手に噛み付かれた。自分の病院嫌いもまだまだだなと思った。まあ、女の子のことなのでわからない。一人だけ、栄養点滴を受けるのが好きで、趣味のように毎週医者に通っていたのがいたが、その子とは結局つきあっていない。

 ともかくも医者は嫌いだ。

 嫌いだが一度ちゃんと診てもらうべきかもしれない。一年以上前に院を出た研究室の先輩に、四条河原町の付近にいい病院があるとは聞いたがいまだ探してみてもいない。まあ恐らく行きはしないだろう。医者嫌いだからではない。

 ただの思い込みかもしれないのだが、このことに関しては医者にかかってはいけない気がするのだ。医者にかかったり薬を出してもらったりもしすれば、あるいは楽になるかもしれないし、それで治るのかもしれない。だが、なんとはなしに、それはしてはいけない気がするのだ。わたしは、わたし一人でこれと対決しなければいけない。苦しいのは確かなのだが、たぶんこの苦しみは自分自身の財産でもある。だから、薬や医者でなんとかごまかすのではなく、わたし自身がその中で十分苦しみもだえなければいけないような気がするのだ。わたしにとっては同じことなのだが、それはありがたい財産でもあり、またわたし自身の罪に対する絶対に逃げてはならない罰でもある。結果その重みに耐えかねて、潰れてどこかでのたれ死ぬことになろうとも、わたしは一人でその罪に苦しみ罰と戦い続けなければならないのだろう。

 わたしは医者にかかったことはないし、これからもかかるつもりはない。薬も同じだ。合法のものにせよそうでないものにせよ、例えば抗鬱剤であるとか向精神剤であるとかを、使ったこともつもりもない。ただその中でわたしが自身に許すのは、コーヒー・お茶、それにタバコとお酒だけである。もっともこれらも、もはやほとんど効かないのだが。

 
■ なぜ一人で戦うのか(上への追記)
 
 ふと気がついたけれど、単にくだらないプライドのようなものかもしれない。
 
■ なぜ一人で苦しむのか(さらに追記)
 
 あるいは単に病院へ行きたくないのを、もったいをつけて言い訳してるだけかもしれない。
 
■ 無限広告
 
 いつものことだが人恋しくてたまらない。

 そしていつものことだがそれを必死で押さえつける。

 調子の悪い時ほど誰かに会いたくなる。そして調子の悪い時ほど、会えばきっと迷惑をかけてしまうだろう。

 だから一人で押さえつける。誰だってそんな時にはそうしているのだ。

 何度もメーラーを見る。携帯を開いたりもする。さっき見たばかりだのに、誰かから便りが届いてはないかとつい期待をかける。たいてい数十通ほどの広告メールや頼みもしないのに届けられるメールマガジン、そんなものが来ているばかりだ。けれどそれすらも、妙に嬉しかったりもする。また妙に悲しかったりもする。どうしてわたしなんかのところに、流れ着いてしまったのだろうか。誰かが遠くで叫んだ音の残骸が、わたしのいる離島に流れ着いているのかもしれない。

 耐え切れずわたしも、叫びそうになることもある。だが叫ぶなら、意味のないことを叫べばよい。シェイクスピアはつくづく偉大だと思う。何も意味をなさない音に、ただ純粋な怒りだけをのせて叫べばよい。

 

 

7/24 「更新履歴」
 
■ わたしの更新履歴
 
 どうしたらいい? 今日も非常に調子が悪い。

 何も出来ずに部屋の電気を消して、うずくまるようにして座っている。そうしていると、部屋の隅、わたしからやや左の視界に入らないあたりに、なにか暗い、闇のかたまりのようなものがある気がする。そちらに眼をむけると、すっ、と位置がずれる。だが、ひざをかかえ丸まるしかないわたしのすぐ傍らにいつもそれがある。

 洗濯と掃除をしようと思っていたが、結局できなかった。何も食べれない。何もできない。ただ、いるだけ。

 ただいるだけのことが、とても辛い。

 
■ [更新]更新履歴
 
 気晴らしにサイトの更新をしようと思った。本棚に4冊追加するつもり。とはいえ、そのうち3つは同じ本の原書と訳書。

 だが、一冊目のヘミングウェイで行き詰まる。なかなか進まない、書かなければいけないことがまとまらない。書くべきことは全部わかっているのに何もできない。

 結局一つ目のIn Our Timeすら終わらないままやめてしまった。わたしはもう何もないのだろう。

 そういえば彼は無を書こうとした作家だった。

 わたしには、a clean well-lighted placeはないのだろうか。

 

 

7/25 「焦げ付いた野菜のように」
 
■ 中華曲線
 
 調子が悪い。かなり悪い。

 まごまごはまだわたしの中に居座っている。

 調子の波が中華鍋の底のような曲線を描いているような感じで、定常的に悪い方で固着してしまったようだ。この流れの中でまた前の月曜日のように、ひどいことになるのではないかと恐れている。

 ただここにいるだけのことがとても苦しい。いなくなろうかとも思う。

 部屋にいると、それだけで気が狂いそうな感じがするが、出かけることもできない、話す人もいない。話す相手がいたところで、きっと話しもしないのだろうが。

 朝から昼過ぎまで雷が暴れ回っている。空は晴れて明るいのだが。一回、アパートの電気が全て落ちる。電圧が下がったのだろうか? すぐに元通りになる。壊れたものは、今のところない。空に怒りを覚える。

 昨日書きかけたIn Our Timeをなんとか仕上げる。それ以外何も手がつかない。

 いっそわたしに雷が落ちればよい。

 

 

7/26 「雷鳴」
 
■ 入城
 
 今日も戦争は続いている。敵の姿の見えない戦争。とても個人的な、暗闇の中で一人で何かと取っ組み合いもがいているような戦争。

 それはまた、どこかに駒と盤のあるチェスのような戦争でもある。陣地が少しずつ敵に奪われ勢力圏は後退し、安易な入城があだとなり、もはや身動きもままならない。あとはじっくり詰められるだけのチェスの駒。その中にわたしを閉じ込めたのは誰だ。わたしを動かしているのは誰だ。遠く敵のビショップがわたしをにらんでいる。ナイトの蹄鉄の音が近くに聞こえ、そちらを見やるがもはや敵の姿はなくなっている。ただそれが跳ねた後の土煙が強く臭っている。わたしは包囲され、殺されようとしている。

 
■ 天気
 
 雷雨が続いている。電気を消した真っ暗な部屋の中でそれを聞いている。うずくまって、ただぼんやりと耳と目をあけている。どこから入ってきたのか、部屋の空気も雷の匂いがする。雨の味もする。雷の音はなにか禍々しい力があるようだ。暗闇の中でそれを聴くと、自分が自分の身体の中に縛りつけられているような気がする。どんな許されざる罪を犯してわたしはここに縛りつけられているのだろう。雷鳴がわたしの罪状を読み上げる。

 
■ 遠い声
 
 メールが来た。広告やスパムや契約や、あるいはネット上でだけのつきあいの人からのものではない。生身の人間を知っている相手からのものである。素直に嬉しい。今の調子の悪さゆえ、返事を書くこともできないのを歯がゆく思う。そう言えば何人か、メールを出そうと思っていた人がいた。思ってからもう一週間以上になる。まだ誰にも出せていない。

 わたしの声は遠いのだろう。きっと誰にも届きはしまい。

 

 

7/27 「日常に開いた影」
 
■ 緑の傘
 
 久しぶりに、いくぶん調子がよくなった。

 酷暑の日々はあいかわらずだが、体調もそんなに悪くはない。朝から水風呂を用意して入る。お湯を少しも埋めていない、ただの水風呂では少々冷たすぎたようだ。だが、ひやりとした冷気が肌から身体に浸入してくるのが心地よい。わたしの身体も岩塩の溶岩になって冷たい水の中に溶け入っていくようだ。

 けっして本調子を取り戻したわけではない。それは自分でもわかっている。調子には乗るまい。だがふと木陰に入ったように気持ちがよいのだ。

 脳天の垂直線上はるか遠くから重たく真直ぐに熱線を投げ下ろす太陽の下、街中を歩いていると、まるで空気が重層構造のガラス迷路を造っているように思われる。ところどころ熱に溶かされたように湾曲し、柔らかくなった破片を撒き散らし、四方から地獄の光を乱反射する巨大な構造物がわたしを閉じ込めているようだ。わたしはなすすべもなく、その中を歩くしかない。どこへ行こうにも決められたとおりに、迷宮の曲がりくねった通路の通りに、歩かされるほかはない。むしろわたしが歩いているのではなく、わたしの周りの背景が、ジグゾーパズルのようにばらばらになって、わたしに向かって歩いてきているようだ。無頓着に、その出っ張りやへこみをわたしの身体にぶつけながら通り過ぎていく無数のピース、そのどれもが直視できないほどぎらぎら輝いている。

 そんな時、ふっと大きなやさしい街路樹がわたしの頭上を覆うことがある。緑の傘は、白く光る太陽を柔らかい緑と茶色と灰色の影にして、身体の周りに隙間をくれる。そんなふうに心地よいのだ。たとえ長く続くものではないとしても、今だけはこの影の匂いを楽しみたい。

 
■ 計画的日常
 
 できるうちにしておかないと、なにもできなくなってしまうので、掃除をして洗濯をして美容院に予約を入れて食事に出た。比較的重めのランチをあえて頼み、コーヒーを嗅いで、煙草を吸いながら新聞を読む。本屋に寄り平積みと新刊を眺めて、それから買い物をする。生活用品を多めに買い込む。真夏のさなかに冬ごもりの準備をしているみたいだ、そのことを一人でさみしげに笑ってみる。帰り道の花屋で夏の花を見る。どうしても夏の花は、疲れているような花か、さもなければ見るものを疲れさせるような花かが多いが、それでも花はいい。小さな鉢でも買おうかと思うが、わたしと心中させるのも哀れに感じて思いとどまる。自販機で缶コーヒーを買って、手の中で冷たさを楽しみながら部屋に着く。
 
■ 整理しがたいものとして
 
 中島らもが死んだ。

 それを悼み悲しむべきなのか、「お疲れさま」と言うべきなのか、まだ、わからない。

 しばらく前に、その業界につながりのある人から、重体という噂を聞いていた。詳細は何もわからなかった。自殺未遂ではないかと話し合っていたが、確かなことは何もわからなかった。

 それ以上のことを聞かないうちに、わたし自身が人と話もできないような状態に陥ってしまい、やがてその話題のことすら忘れてしまっていた。

 知り合いですらない、ただ、たまたま縁のないこともないような業界の片隅に、わたしが引っかかっていたことがあるというだけの、それだけの人だが書くものはよかった。ただ面白いと言うだけではなく、わたしの個人的なところになにか触るようなものがある本を書いた。それが何かはまだわかっていない。

 
雨の中の猫
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