日記のようなもの
2004/7
このページの画像には、一部に*nankanoyume*さまの素材を使わせていただいています。
雨の中の猫
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7/17 「バートルビー的」
 
■ おわびの一文
 
 はてなダイアリを借りてから一週間ほどが過ぎた。初日に書いたように、もともと作ろうとしていたサイトの日記コンテンツ用に借りた。毎日サイトを更新していたのではたまらないので、日々の更新はこちらにし、手のあいたときにまとめて本サイトに移す心づもりである。

 いつからとは決めていなかったが、もともとそうしたサイトを作ろうかとはかなり以前から思っていた。一方で、たぶん実行には移さないだろうとも思っていた。それにもかかわらず、どういうわけかこのようにサイトを作ってしまっている。不思議なことだ。

 漠然とこのようなサイトを作ろうかと頭に描いていた頃、どうせ公開しないだろうがとも思いながら、そのサイト用のコンテンツとして日記のようなメモのようなものをつけていた。どうせ公開するところがないのだからと、メールで友達であるのかもしれない人に送ったりしたものもある。迷惑なことだ。

 こうした過去に書いたものも順次こちらに移して行こうかと思う。実際そのいくつかは既にアップしてある。この作業をやっていて気がついたことがある。過去に自分の書いたものを書き写すのはとても大変なことだ。

 そうしたものにはたいていその時見たものや感じたこと、考えたことなどが書いてある。ただ読み返すだけでなく、それをもう一度書き写すのは思ったより大変なのだ。その時の自分の感情や、その時感じていた辛さや、その時沸いて出た恥ずかしさなどといったものが、もう一度自分のなかで生じるのだ。自分の死体を墓から掘り返し、服を着替えさせて、もう一度埋めなおしているようなものだ。これはとてもとても辛い作業だ。

 なので作業はちっとも進まない。自分以外の誰に対して責任があるわけでもないが、この遅延については申し訳なく思う。

 

 

7/18 「レストランに行くまで」

 
■ 期待の齟齬
 
 かねてから目をつけていたフレンチレストランに行く。

 本に関してもそうなのだが、その分野のものにある段階を越えて親しむと外観だけでその内容の程度がわかる。本であれば、本屋の店先でタイトルや背表紙をざっと眺め、手にとって表紙と裏表紙に目を通し、より詳しく見るときには目次やあとがき、解説のたぐいを軽く見る。これだけでだいたいその本が面白いかどうかわかる。もちろん、裏切られることもある。だが、確実に打率は上がっていく。

 飲食店に関しても同じだ。だいたいの店構えやその店に入っていく人、出てくる人の雰囲気、店の周りを漂っている匂いである程度のレベルがわかる気がする。もちろん、これも裏切られることもある。現段階でわたしの打率は4割かそこらだろう。こう言うとぜんぜん当たってないように感じるかもしれないが、これは相当なものだ。でたらめに入ったら恐らく1割も当たらない。

 情報が多いほど打率は上がる。これはあたりまえだ。ただその前を通って店を見るだけでなく、その店を載せてあるタウン誌の類やグルメサイトなどに目を通し、紹介文を読めばだいたい外れなくなる。もちろん、そこに書いてあることを鵜呑みにするということではない。そもそもそうした場所には悪いことは一切書かれない。だが、それを書いた人の書き方の呼吸で多少のことはわかる。

 この店はそうした紹介記事の感じは悪くなかった。それを見た感じだけで判断するなら、そこそこ食べられるものが出るのではないかと期待させるものがあった。少なくともハズレの店ではないだろうと思う。

 しかし、である。比較的近くにあり、よく通る界隈に店を構えているにもかかわらず今まで行ったことがないのにはそれなり訳がある。自分でその店構えを見た感じ、あまりおいしそうには見えなかったのだ。よくてもまあ食べられないことはないという程度、悪ければどん底までありうる感じの店の雰囲気だった。

 果たして、どちらが正しいのだろうか?

 
■ 足をゆっくり上げて
 
 用もないのに出かけることは大変辛い。外に出たくないわけではない。むしろ、どこかに外出して誰かに会いたいという方が本心だろう。誰かが知っている人でなくてもいい。単に街を歩く人々を眺めるだけでもこの際いい。だがそれでも、あるいは「それだけに」なのかもしれない、外に出るのがとても辛い。

 なぜ辛いか、はこれまで何度か書いただろうし、これからも書くことがあるだろう。今回はこれ以上書かない。それを語る気分じゃないのだ。

 だから必然的な用事がない限り出かけない。必然的な用事とは学校の授業であったり自主ゼミであったり、その他イベントであったりだ。こうしたことが多いほど、苦しみながらも喜んでわたしは出かけていくことになる。だから酒の誘いなどは、他の誘いとかぶらない限り、何があろうと断らないことにしている。かつてはここにバイトであるとか他の必然があったのだが、今はもうない。

 せめて誰かを誘って飲みに行くなり食べに行くなり遊びに行くなりすればよいと思うのだが、それもなかなかできない。まれに意を決して、かろうじてわたしとも酒を飲んでくれそうな人を誘って四条あたりに行く。それがせいぜいだ。せいぜいなのだが、誘われる方も迷惑だろうと思うとなかなかこれもできない。

 こうしたことに限らず、社会生活のリハビリをしなければならないと思う。普通に、常識人として、暮らせるようになりたいと思う。生きていることに、生きようとする意志を必要とするような状態はもう嫌なのだ。大きな怪我を負い一月なり病院のベッドに縛り付けられていた人が、ようやく回復してそこから床に立った時、歩き方、それどころか立ち方を忘れていると言う。普段われわれは幼児期からの訓練の成果として、どこかに行こうと思えば、足の上げ方下げ方など深く考えることもなく歩くことができる。何も考えずに歩こうと思えば歩ける。それは訓練の成果であり決して自然なことではないかもしれないのだが、それでも社会に必要なのだ。普通、意思的に歩こうとしなくても人は歩けるし足も出る。それと同じように生きようとしなくても生活することができる。わたしは足を怪我した人のように、意図して生きようとしなければ生活できない。呼吸がやむわけでも心臓が止まるわけでもないのだが、生きようという意志を持ち続けていないと生きていられない。生きていようとする意志を、常に維持し続けていなければならないことは、本当に疲れる。沈んでいる時には、そのあまりの疲労に打ちのめされて、もう生きていなくてもいいとさえ思う。

 ベッドから下りた怪我人がするように、わたしもいろいろなことをリハビリしなければいけない。足をゆっくりと上げて、10cm前に出し、バランスに気をつけながらゆっくりと降ろす。何かにつかまりながら、それを繰り返して前に進む。そのうち意識しなくても、歩けるようになるだろう。

 
■ その計画
 
 最初にリハビリとして考えたのは、一日最低10分以上、人間と会話することである。NTTの番号案内やコンピューターのチャット、メール、注文を取りにきた店員とのやりとりなどは反則とする。電話はOKだ。自分がしゃべらなくたっていい。相手の話を聴いているだけでもいい。

 だが、これはやめてしまった。第一まるで達成できないのだ。誰かと、例えば宗教の勧誘にわざわざやってきたエホバの証人とでも、何かを話すというのは意外に難しかった。それが宗教の勧誘であれジュエリーの販促であれ、話すのはわたしは楽しい。だが、わたしと10分なりの時間を無駄にさせるのは相手に申し訳が立たないだろう。勧誘員であれば限られた時間でできるだけ多くの客に金を出させなければならない。わたしのように絶対に宗教に入るはずもない、あるいはジュエリーなど買うはずもない相手に時間を使わせるのは失礼だろう。そうした相手でなく、例えば学校などでたまたま出くわした知り合いなどであればなおさら深刻だ。わたしのようなもののために彼らの時間を無駄にさせるわけにはいかない。だいたい苦しんだり困ったりしているのはわたしだけじゃない。彼らも、みんなも、同じようにそれぞれの苦しさを抱えているのだ。そうした人々に迷惑をかけるのは失礼だろう。

 この試みはそういうわけで頓挫したが、もう一つの試みとして、取り立てての理由がないのにたまには出かけてみることにした。とはいえ、まったく理由がなければどうしようもない。恐らく、部屋を出て、マンションの一階まで降り、出口のあたりで途方にくれて立ち尽くしてしまうだろう。だからなにかしらの動機や目的は必要である。出かけることを自分に納得させるだけの必然とはならないような、ちょっとした動機や目的がいい。

 
■ 期待の遅延、あるいは期待の地平
 
 それで今日はそのフレンチレストランに行くことにした。行くことを考えるのは楽だが、いざとなるとなかなか身体が動かない。準備だけでも大変である。もう一度シャワーを浴び、体を乾かして、服を着替える。これだけで一時間かかる。タバコを吸って休憩し、コーヒーを飲んだら髪を整える。靴を選ぶ。誰に会うわけでもないのに、何をしているのかと自分に不愉快になる。

 部屋のドアを開け外に出たときにはもう予定していた時刻よりだいぶ過ぎていた。だが、まだ食事時は過ぎてしまってはいない。通りに出て、しばらく歩き、目的の店につく。

 7/17〜19は連休させていただきます。そんな張り紙がされ、店は閉まっていた。次に出かけられるのはいつだろうか、そのときも果たして出かけられるのだろうか。

 

 

7/19 「すり鉢の中心とその周辺にあるものについて」

 
■ 蟻地獄の系譜
 
 この時のことはどう書いたらいいかわからない。どこから初めて、どこで終わり、どのように語るべきなのか、まったくわからない。何度も書きかけて中途であきらめてしまった。タイトルも思いつかない。だが、それはどうしても語らねばならないことだ。そんな気がする。

 実はこれを書いているのは二日過ぎた21日である。その意味で日記とは呼べないのかもしれない。書きあぐねている間にこの日になってしまった。その間にとりたてて意味のないことをいくつか書いてもいる。だが、このことだけはまだ、語る言葉を探し当てていない。まだ、わたしはその中にいるということなのだろう。そのすり鉢の中心にぽっかりと底深く開いた穴は、確かに19日の、それも深夜にあったが、今現在においても、まだわたしは蟻地獄のようなそのすり鉢のどこかの裾野にいるのだろう。もう何日か、何週か、あるいは何ヶ月かが経ち、そのすり鉢から完全に離れてしまった時には、あるいは言葉も見つかるのかもしれない。おそらくその時には、また別の蟻地獄に飲まれていようが、それはまったく別のことなのだ。再起的にわたしのもとを訪れるこうした地獄は、中世から後年のヨーロッパ人たちがあらゆる災厄の権化として情熱的にしらみを潰すように連ねていった悪魔の人名録のように、それぞれがまったく違うのだ。一つ一つが悪魔として同じ枠にくくられていようとも、それぞれ名前も、色も、においも、形も、味も、服も、足の数も、全てが異なっており一つとして同じ悪魔は訪れない。今回のことも、それを離れてしまえば、たとえその時他の悪魔にさいなまれていようとも、きわめて離れた立場から冷静に語ることもできるだろう。

 だが、どれだけ言葉に困ろうとも、わたしは今それを書かねばならない。その地獄の内にまだある時に語られることがどうしても必要なのだ。それがどれだけ辛いことであっても、今は語りようのないことであっても、その地獄に縛られている内に語らなければならない。支離滅裂になるだろう、論理的な脈絡どころか、時間的な前後のつながりすらわからないものになるだろう、それでもわたしはどこからか語りはじめなければならない。

 しようもないことばかり随分と書いてしまった。その困難ばかり並べていてもいつまで経っても話は前に進まない。筋の通らないことになるかもしれないが、ともかく何かを連ねていこう。箇条書きだっていい。

 
■ 波に関する一般論
 
 ここ二週間ほど、恒常的に調子の悪い日が続いていた。もちろんその中に上下はあるのだが、程度としてはさほどひどくはなかった。

 もともと波のある方である。いい時、悪い時があるのはいつものことだ。その程度に考えていた。たいていは続いても一週間かそこらのことなので、多少長いとは思ったが、さほどひどいものでもなかったし、いいかげんに嵐は過ぎ去るだろうと思った。

 ひと月のうち十日くらいはそういう日はあるが、普段はもっと程度がひどい。その間は、自分を作って、それを維持しておくのが困難になるし、それなのに妙に人恋しくなりもする。迷惑をかけてしまうことになりかねないので、たいていはなるべく人を遠ざけるようにしている。もっとも調子の悪い時でなくとも、そうした傾向は多分にあるので、常にそんなことになってもいるのだが。最近はただでさえ自分を保つのが難しくなっているのだし。

 ともかく深く考えることもなく、嵐が過ぎるのを待っていた。思えば考えないようにしていたのかもしれない。そうこうするうちに二週間ほどが過ぎ、それでも終わる気配もなく、むしろゆるやかだが徐々に悪化していった。これはまずいという予感はあったが、どうすることもできない。

 
■ 19日の昼から夜にかけて
 
 起きた時すでに調子はかなり悪かった。たいていここまで悪いと、その日は外に出ない。もちろん自分の意志の保てる限りの話で、一人でいることの辛さに負けてどこかに行くことや、何かの用事で出ざるを得ないこともある。この日もそうだった。所属している研究室の前期の打ち上げのようなものがあり、そのために昼過ぎあたりから河原町へ出た。もっとも断れない用事であったわけではない。ではないのに出かけてしまったのは、やはり人恋しかったからだろうか。少なくとも、その程度の意志が保てないほどまで自分が弱っているのは確かだった。

 クーラーに弱いので羽織るものを持っていった。これはあだになった。強い日差しを受けると火傷してしまう体質なので、夏でもたいてい長袖を着ているが、それもあって大変に暑苦しいことになった。この日から数日、京都は信じられないくらい暑い日が続いた。おかげでだらだらと汗をかいた。一人で昼食を取った。何を食べたかは覚えていないが、何か食べたのは確かだ。ほとんど食べられずに残した覚えがある。本屋と喫茶店を転々とさまよい時間を潰す。

 四時過ぎた頃、待ち合わせの場所に行く。誰も来ていないのも当然で、待ち合わせの時刻まではまだ30分以上もある。阪急デパート入り口隅の、灰皿のある、目立たない日陰に陣取ってしばらく待つ。半過ぎまでそうしていたが、あまりに暑くまた髪をしたたるほどの汗をかいたので、身なりを整えにデパートに入る。阪急は男性用の化粧室が五階にしかない。仕方なくエスカレーターを上る。おそらくここでハンカチを忘れる。建物を出て同じ場所に戻り、時刻を見ようと携帯を出す。着信があったのでかけ直すと、既に待ち合わせ場所を出て目的の店にいるとのこと。どうも間が悪い。

 打ち上げ前にその数人で集まり、氷を食べながらお遊びのような読書会をする。かき氷など食べるのはいつ以来のことか。おそらく生まれて初めて宇治金時を食べる。白玉が乗っている。ごてごてしたのが嫌で、普段はたいてい砂糖水をかけたようなものしか食べない。あるいは何もかけないかだ。ひどく暑い。氷屋なので当然冷房は入っていない。氷はなかなか食べられる味だがあまり涼しさを感じない。白玉もお茶も悪くない。だが、どれだけ味わおうとしてもお茶の素性がわからない。身体が麻痺したようになっている。麻痺させているのはおそらく自分自身だ。ここに来てからほとんど何もしゃべっていない。話すことができない。女性方は一人を除いて見事な浴衣を着ていた。何か言うべきなのだろうが言葉がない。向かいの一人は浴衣にコサージュをつけていた。それもなかなかかわいらしいのだが、一人防音壁の向こうに隔離されたように何を語ることもできない。目の前にいる人々がひどく遠くにいるように感じる。自分自身の肉体すらも遠くあったのかもしれない。遠く離れたところで会が進行していく。時々断片的な音がこちらまで伝わってくる。遠くにいる彼らをひどくうらやましく感じる。彼方から流れ着いた光のかけらのようだ。こちらから叫んでも届かないだろう。一人がかき氷の汁をこぼし、一瞬だが彼らとの距離がなくなる。それからまたさらに遠くへ追いやられる。

 三条まで先斗町を歩き、残りのメンバーと合流する。意図して離れて後ろを歩く。浴衣はうしろ姿を眺めるのがよい。華やかな輪だ。だがそこに近づく資格すらわたしにはない。また一層離れる。

 料理屋に入る。随分集まったものだ、15、6名はいただろうか。長いテーブルの隅、高さの違う二人用の小テーブルをつけたところに自分を隔離する。そうしておけばどうせわたしなどに誰も近づいては来まい。実際、長テーブルが埋まりきるまではわたしのいるところとの間にぽっかりと空席が空く。わたしの向かいに座らされ、わたしとともに隔離されることになる人にはかわいそうなことであるのだが。どこかに行っていいんだよ、わたしなど置いて、人々のいる世界にお戻りなさい。そう思いもするし、確かにそんなようなことを言った。言われた方も困るだろう。

 料理は好きなタイプのものだったが、なにぶんそんな調子なのでまるで味がわからない。食欲もない。途中で食べるのをあきらめて酒を飲み始めた。ラキは中東から地中海沿岸にかけて広く飲まれている酒で、ギリシャのウゾー、フランスのペルノー、アブサンなどと同じ仲間だ。わたしは普段この中のペルノーを好んで飲む。たいていの人にとっては飲めたものではないような味と臭いがするだろう。いつものようにストレートで、安食堂で水を出すようなコップに半分ほど飲んだがまるで酔うことができない。それもいつものことだ。いっそビールやワイン、日本酒程度の酒類の方がまだ酔える。いや、この場合酔えないというのは正確ではないだろう。飲むほどに、しらふになっていくのだ。活火山の下という、かつて読んだことのある小説に、そんな描写があった。飲めば飲むほどsoberになる。わたしにとっては非常によくわかる現象なのだが、経験したことのない人にはきっとまったくわからないだろう。いわゆるほろ酔いなどに特有の、開放感であるとか昂揚感であるとか、気分の浮き立ちとか、そういうものとはちょうど正反対の方向へ静かに心が落ちていく。とは言え、なんとか上戸の典型としてあるような、怒りっぽくなったり愚痴っぽくなったり、あるいは泣き出してみたりするとはまた違う。その方が、むしろわたしにとっては幸せだ。だが、そうはなれない。飲むほどに冷静に、静かになっていく。そこに座って、酒を飲んでいる自分、その周りにあるもの、そばにいる人々、もし話し相手がいたとすれば話していることなど、全てが遠く離れているところで進行していく。わたしはそこに手を出すこともできないのだ。どうしたらいい、どうしようもない。ただ何かに操られた人形のように表情の失せた顔で静かに酒をなめているだけだ。はるかな虚空で魂だけが拷問にかけられているかのようだ。もちろん、酔えないとか、飲むほどにしらふになるというのではなく、単にそういうふうに酔っているということなのかもしれない。そんな酔い方をしやすい酒なのかもしれない。そういえばあの小説でもアニスを飲んでいた。それが辛いならいっそ酒など飲まなければいいのかもしれない。実際、あれほど飲んでいたお酒を、最近ではあまり飲まないようにしている。特に一人では一切飲まないようになった。だが、それでも、何かにすがるように酒を飲む。いっそ質の悪い酔っ払いのようにべろんべろんになるまで酔わせてくれ。

 
■ 19日の深夜から日付が変わった後しばらくまで
 
 会食が終わり、二次会ということで人の少ない静かな店へ行く。数人を除きほとんどがこちらにも来る。ここではスプモーニを飲む。軽いお酒も置いているような喫茶店などで、よくジュース代わりに頼むような甘いカクテルだ。グレープフルーツか桃のジュースが入っているので、たいてい甘い。甘すぎることも多い。ここのは過剰に甘かった。カンパリの色について説明しようとしたのだが、ろくな言葉が出てこない。あの赤い黒色をどう言えばいいのだろう。どす黒いのとは違う、赤黒いのとも違う。紺色も少し差しているのだ。晩夏の夜、夕焼けの後、日が落ちきってしばらく経ち、まだ空が真暗くなりきる直前くらいの空の色。そんなような説明でごまかしたはずだ。

 ここまで歩いてよけいにアルコールが回りでもしたのだろうか、自分との距離がさらに遠くなる。溺れているような感覚だ。足に鉛をつけられて、水は暗く、はるか遠くにかろうじて水面が見える。手を伸ばす。届かない。何もかもがはるか遠くの水面にあり、誰にも気がつかれることなく一人で沈んでいく。ぶくぶく、水泡すら立たないかろうじて自分の何かに触れるだけのかすかな音を立てる。ぶくぶく、ぶくぶく。

 どうしようもないわたしの、かろうじての矜持のよりどころであった仮面にひびが入り、砕け散る。だが、何と言うことだろうか。つけるものの消えうせた、壊れた仮面だけがそのまま虚空に浮かび、わたしであるふりをし続けているのだ。破片となって地面に落ちることもせず、壊れた仮面が、ひびの入った醜い顔をみなに向け、焼け焦げた声帯を引っかいてゆがんだ声を出す。何もない体からは死臭も匂うだろう。

 その醜悪なわたし自身のパロディーに向かって、水の底から叫ぼうとする。やめてくれ、ぶくぶく、それはわたしじゃないんだ、ぶくぶく、ぶくぶく。仮面の空洞の目が、パロディーという言葉を侮蔑するように、ちらりとこちらを見やる。その他にわたしの叫びに気づいたものは一人もいない。全てがわたしと関係のないところで進行していく。

 二次会の後解散と言うことになりタクシーに相乗りして帰途につく。アパートの狭い階段をよろよろと登る。エレベーターがあればよいと思う。部屋に入ると、古い蛍光灯がその寿命を終えようとしてパチパチと最後の自己主張をはじめる。質感のある重たい暗闇がわたしを見つめている。一人であることの恐ろしさにほとんど打ちのめされそうになる。息が荒い。酒を飲んで、階段を五階まで上がったせいだろう。服装を解きベッドに上半身を預け早く眠りが訪れてくれるように祈る。死にかけた蛍光灯がそんな期待をバチバチとあざ笑う。激しく喉が渇く。あいにく飲み物を切らしている。何か買いに行こうにも服を脱いでしまっている。眠れそうな気配もない。わたしはそのわたし自身と対決せねばならない。

 敵は一個一個わたしの拠点を潰していく。こんな調子であったために、おそらく多くの人を不愉快にさせまた迷惑をかけてしまったであろうこと。気難しい人、頭のおかしい人、気持ちの悪い人として見られているであろうこと。そしてまた、そうして人にどう見られているかばかりを気にしていること。能力のなさ、そしてそれに輪をかける責任感のなさ。過去に自分の身の上に起きたさまざまな不幸な出来事。これから自分の身に降りかかるであろうあらゆる不幸なできごと。運の悪さ。それを運の悪さとして片づけてしまう自分の弱さと、それを運の悪さとしても片づけることのできない自分の弱さ。そうしたもろもろの欠点のためにわたしから去っていった人々のこと。そしてこれから去っていくであろう人々のこと。どこまで行っても一人で立っていることしかできない、そのことは十分わかっているはずなのに人に助けを求めそうになる弱さ。そして素直に助けてくれと言うこともできない弱さ。それなのにそうした迂回的な形で人に頼ろうとする自分の卑怯さ。

 もうお前は存在する価値もないのだし、それにお前もいっそその方が楽だろう。裁判長が判決を下す。いや、待ってくれ、頼むからもう少し待ってくれ。必死に抵抗するわたしもいる。まだ、何かやらなければいけないことがあるんだ、それが何か、自分でもまったくわかっていないのだけど、とにかく今はまだ死ぬわけにはいかないんだ。それを聴いて軍法会議のメンバーがいっせいに嘲笑する。まだお前はそんなことを言っているのか、もうお前には何もない、あとはただ煩悶しながら朽ちてゆき、やがて死ぬだけだ。裁判長が言い、列席者を見回す。生きている時間が長い分、その苦しみも長くなるぞ。そうだ、さっさと死んでしまえ。嵐のようにヤジや怒号がこだまする。

 部屋を出て、向かいのベランダの手すりを乗り越えることを考える。下はアスファルトだ。きっとこの暑さで柔らかくなっているだろう。だが五階もあれば十分だ。上手く頭から落ちられるだろうか。頭は割れてどんな形になるのだろうか。かつて高校をサボって見に行った墜落死体は、その頭の周りに血の水溜りができている他はきれいなものだった。あんなふうになるのだろうか。よろよろと着る服を手探りする。手が痺れているのでなかなかうまくつかめない。何か硬いものが手に当たる。一年以上も前に人に借りたライターだ。火を忘れてライターを借り、そのまま返し忘れて別れたのだ。返さなくていい、遠くの町に住んでいるその男は言ったのだが、どうしても返さねばならないような気がして、次に会う時に持っていこうと使わずに取っておいたのだ。イルカの絵柄の入った緑色のライターで、海遊館で買ったものだと言っていた。100円ライターに毛が生えた程度のみやげ物だ。暗い部屋の中で火を点けるとぼんやりとその輪郭が浮かぶ。これを返すことももうできないのだな。そう思うと涙が出た。

 ずっと火を点けたまま、液化燃料の海を泳ぐイルカに見入っていたせいだろう、我に変えると親指の腹を火傷していた。水を流して親指を冷やす。夜の京都の酷暑の中でアパートの屋上のタンクの中に蓄えられた水は、生暖かいゼリーのような感触がしてむしろ火傷の痛みを強くした。そのぬるい水で顔をごしごしと洗う。目に水が入り、それを追い出そうとしてこすると余計に目が痛んだ。それでもやけになったように、ごしごしと、何度も何度も顔を洗った。まだ生きてなくてはいけない、まだ死ぬわけにはいかないんだ。身体に傷跡を彫り込むように言い聞かせた。まだ、死ぬわけにはいかない。洗面台に水を溜めて顔をゆっくりとそこに沈める。ああ、誰か助けてくれ。ほんとうに、誰かたすけてくれ。ああ。どうか。日ごろ自分に禁じて絶対に吐かない言葉を、歯の上でころがすように小さく何度もつぶやいた。汚れた水が鼻と喉に入り何度も咳き込みそうになった。目をあけると激しく痛んだ。ああ、誰か。

 肌の上に両生類の粘液質の皮膚ができたように、粘りつくような汗を体中にかいていた。生ぬるいシャワーを浴び体を洗う。自分の醜さから噴きだした汚泥のようなものは、そのアパートの生暖かい水ではなかなか落ちてくれる気がしない。削り取るように、獰猛に、それをこそぎ落とそうとする。嫌な臭気のするどぶに落ちた人のように、必死になって何かを落とそうとする。それから身体を拭いて、新しい服を着ると、そのライターを持ってベランダに出た。夜の竜巻のように重たく暑い濃紺の空が、四条あたりの明るい街を押しつぶそうとしていた。一度は落ちようとした手すりの向こうは、わたしの弱りきった視力ではかすんだ闇の塊のようにしか見えなかった。煙草を一本つけると、ゆっくりとそれを吸い込んだ。吸い終えてからもしばらくの間、そうしてベランダに面した、細い通りをじっと眺めていた。遠くの街明かりが邪魔をして、かえって近くのものはぼんやりとしか見ることができない。建物の足元の、その通りのアスファルトは、周囲の捨てられた自転車や向かいの店の看板、ゴミバケツなどを飲み込んで、小さな闇色の海のようになっていた。指の先ほんの3センチほどのところにあるはずの、わたしを示すささやかな信号灯は、この海の中でぼんやりとにじんで、じわりと明滅を繰り返しながら、それでも闇を侵食しようとしていた。

 静かな夜だった。たまに駆け抜けるエンジンの音を除けば、ほとんど大きな音はなかった。自動車の少ない夜だったのかもしれない。みな海に飲まれたのだろうか。その静寂の中で、低くかすかな、街の呼吸の音が聞こえた。ブーンとうなるような音。貯水タンクが水道管から吸い上げているのだろうか。キイキイとした、何かのこすれるような音。遠くの家のクーラーだろうか。あるいは自転車が通ったのかもしれない。途切れ途切れの、何かの音楽のような、かすれた音。長く伸びて、それっきり消えた正体のわからない動物の声。ゆるやかに流れる水のような音。その上を流した丸太が、ぶつかりあって立てるような、低くリズミカルな打撃音。わたしの声もどこかに届くことがあるだろうか。

 ライターを出してもう一本煙草をつける。その本来の持ち主ともいつのまにか疎遠になり、連絡しあうこともなくなった。一緒につるんだ連中ももう消息すらきくこともない。人がわたしから離れていくのか、それともわたしが人を遠ざけるのか。深く煙を吸い込むと、ちりちりと煙草の先が燃える。わたしは、ここにいます。

 扉を開けて部屋に戻る前に、もう一度アパートの下を見る。それから、なるべく力を入れないように、ゆったりとしたモーションで腕をふり、手すりの向こうへとライターを投げた。指先を離れると、すぐにそれは見えなくなった。暗闇の中から、何かに当たってカラカラと意外に大きな音を立てながら、代わりにそれは落ちていった。まだ喉が渇いていた。朝になればどこかの喫茶店も開くだろう。

 

 

7/20 「季節に遅れて」
 

■ 枇杷

 
 枇杷の季節も終わってしまった。今年は一度も食べることがなかった。まだ市場などで手に入らないことはないが、梅雨の終わりから明けて一週間ほどの間の枇杷の味はもうしないだろう。残念なことだ。

 小学生くらいの頃、一番好きな果物は枇杷だった。考えてみれば地味な果物である。出回る季節も短い。なのになぜ数ある果物からそれを選んだのか今となってはわからない。ただこの年になっても、熟れた枇杷独特の香気に魅了されているのは確かだ。

 枇杷とは不思議な果物である。まず食べるところが少ない。どのような植物にせよ古来から今の科学技術の時代に至るまで、何とかして食べられるところを増やし、取れる量を多くするようにと改良されてきた。ぶどうや蜜柑からは種がなくなり、実は甘くなり大きくなった。だが枇杷は、今ださして実も大きくない上、その半分ほどが種に占められている。最近では種があれでだいぶ小さくなったそうだが、それでも他の果物に比較すればまだ大きい。もし改良の結果で今の姿があるのだとすれば、それ以前の姿はどうだったのだろう。ほとんど種と皮だけであったのではないか。無精な人にとっては、実をもいで皮を剥くという労力に比較して、食べられるところがあれでは許せないものがあるのではないか。

 色は艶やかなだいだい色である。彩度の高い色をしている。濃い緑色をした葉とは対照的に、どこか異国の風情のある色である。ところが実は日本にも原産のある果物なのである。現在一般食べられているものは中国原産の系統のものだが、万葉に詠まれているように野生種が列島南部にも群生していた。実は日本に原産のある果物や野菜というのはきわめて少ない。現在日常食べられている食材に限ればまったく無いと言ってもよい。その数少ない例外が柿と、この枇杷である(余談だが柿は17世紀頃にポルトガル船によってヨーロッパに持ち込まれて大人気を博し、現在でも西洋料理に使われる果物の中では最高級品と見なされている)。

 味もまた不思議である。甘くない。まったく甘味がないということではないが、出回っている他の果物に比べて極端に甘味が薄い。しかし木目の細かい味がある。甘味は涼やかでありながらけっして線の細いものでなく、しっかりと歯にこたえる腰がある。ひかえめな酸味と、ほとんど感じられないほどのわずかな苦味があり、その奥にそれらを支えているしっかりとした味がある。それは滋味だ。主張するほどの味ではない、かといって苦味のようにほとんど隠れてしまっているわけではない。感じようとすればはっきり感じられるが、普段はその存在を気がつかせないような裏方としての滋味があり、それがこの全ての味覚をまとめて懐の深さを作っているのだ。

 肉質はやや繊維に富んでおり、柔らかく歯を受け止める。しとやかだが奥行きのある味とあいまって、ある種穀物のような甘味を歯茎に感じさせる。乾いた食感のある果肉とは裏腹に水分に富んでおり、ミルクのような粘質のある汁がどこまでも流れていく。したたり落ちた果汁はあの香気となって立ちのぼる。鼻腔の中で花咲くような香りだ。

 だが、枇杷にあうお茶となると難しい。口に入れたときに感じる甘味はひかえめだが、後に残る味なのだ。味の質は繊細であるがけっして弱くはない。香気もいつまでもたなびくような性のものである。

 やや渋味のある熱めのお茶で後味を消すのもよいが、あまりに強いお茶だと繊細な枇杷の味が殺されてしまう。かといって、なまじっかなものでは枇杷の個性に負けてしまう。これはほんとうに難しい。

 

 

7/21 「食人種、茶道の逸脱、日記の逸脱」
 
■ お茶を吹く
 
 はてなダイアリのキーワードとはどういうものかは知らないが、面白そうなのでいろいろ見ていた。いくつかのカテゴリに分けられている。多少大雑把な感もある。自分の探したいキーワードがどこに入っているかわかりにくい。だが、このように適当に見てまわるにはむしろいいだろう。

 読書のカテゴリに入ってみることにした。どうせこういうところで上位にくるような本や作家やあるいは読書に関わる単語は、何かしらのオタクたちの好むものだろうが、それはそれで面白い。期待して見に行った。

 一番に来ていたのは「タイピー」だった。お茶を吹いた。

 
■ 二日遅れ
 
 二日遅れで19日の日記を書いた。書いたように、2日遅れでは厳密な意味で日記とは言えないかもしれない。遅れた理由もそこに書いた。やたらと長くなってしまったしまとまりもない。文章になっているかもわからない。語るべきことを語り切れた気もしない。だが、もう見返すことも手を入れることもしないだろう。

 だが、それを通り過ぎてしまった現在のわたしから見て、いわば後日談として、付け加えるべきことがないわけではない。

 まず、その最初の方に書いたように、わたしは普段から波がある。波の高い低いはさまざまだし、波の来ていない時も恒常的にある程度の調子の悪さがある。いつ頃からのことなのかはもう覚えていない。はっきりと自覚したのは二十歳過ぎくらいのことだっただろう。

 ともかく、そうした自分を打ちのめすいくつもの波を、これまでに越えてきたことは確かだ。だが、少なくとも覚えている限りのものでは、今回のことほど酷いものはそうはなかった。過去記憶を辿れる範囲では、低めに見積もっても三指には入るだろう。もう死のうと思い、そのための準備を進めたことは何度もある。だが、たいていの場合はそれは理性のコントロールの内にあった。そして、その中でまだ生きるべき理由を見つけ、そのまま突き進むことなく静かに踏みとどまってきた。本当に死ぬつもりもないのに他人に見せるためだけの、演技としての自殺は絶対にするまいと自分に禁じ、そのように受け止められかねない状況の時には決して死なないつもりであった。リストカットをはじめとした、そうした示威的行為が好きな馬鹿者のための見た目派手でその実死亡率は極端に低い方法は一切考慮したこともない。そうした演技を自分に許さないために、当分は誰にも見つからないところでひっそりと命を絶つ。もはや何も残っていないわたし自身に最後に残された矜持があるとすればそのくらいのことだろう。だからこそ、死ぬ時にはその場の衝動や何かのはずみでではなく、自分の選択として冷静に自死しようと思い、それが自分にはできると自負していた。

 しかし今回は、どのように見てもそうした冷静さは保てていなかった。ただ圧倒的な力に打ちのめされどうすることもできず、何のために死ぬのかも、あるいは何か生きるべき理由が残っているかも判断もできずに、わがことながら愚かしくもすぐに見つかるような道路へ飛び降りようと考えたのだ。このようなことは今までの経験の中ではなかった。どれだけ打ちのめされ自分自身にさいなまれ、その時は死のうと思い首をくくるロープを用意したとしても、常にどこかしら冷静に現状について判断したり、また実際的なものとして誰かに見つかる恐れはないか、発覚するまでどの程度の日にちがかかるかなどを計算できる自分がいた。そのような冷静さは今回はどこにもなかった。衝動的に熱に浮かされてのことではまったくないが、思考が完全に麻痺したような状態で意思的な判断をすることができず、ただ死の方向へと歩いていた。だが、本当に死ねる時とはそういうものなのかもしれない。

 ここ何ヶ月間かほど、ずっと自分が弱っていたこともあり、そろそろもう駄目かもしれないという漠然とした予感をしばらく前から感じていた。一方で、もうしばらくくらいは何とか大丈夫だろうとも思っていた。だがそれは突然にやってきた。そのこともあり、深夜の暗闇の中で一人で死と向き合っていた時、これまで何とか生き延びてきたが、今回ばかりはもうだめだろうと、ぼんやりと考えた。

 結局かろうじてのところでわたしは生き残った。それが幸せなことなのかどうかはわからない。これまでと同じように、単に死に場所にめぐり合えなかっただけのことなのかもしれない。ただ今回のことで、ぎりぎりの時でも保てると思っていた自分の冷静さに対する自信がなくなってしまったのは確かだろう。ここ数ヶ月の間続いている精神の弱体によるものなのか、それとももともとそんな冷静さを持ってはいなかっただけのことなのか、それはわからない。どちらにせよ、随分と打ちのめされていることだけは確かだろう。次にまた大きな波が来た時にわたしはそれを乗り切れるのか、それともその中にのまれてゆくのか、それはいつやってくるのか、いっそ早くその中に沈んだ方が幸福なのか。そんな答えのない疑問だけが、今、わたしには残されている。

 

 

7/22 「季節に遅れて(2)」
 
■ うぶ毛とその中心にあるもの
 
 二日前(20日)の日記の続き。本来、20日の内にこちらまで書いてしまうつもりだったが、書ききる体力がどうしても維持できず前半だけとなった。後半をここに書く。

 小学生の頃一番好きな果物は枇杷だったが、今現在は桃の方が好きである。もっともどちらもそう遠くはない親戚筋の植物なので、あまり変わったとも言えない。桃から見れば、枇杷は梅や杏ほど近くはないが、それでも近縁の範囲にある果物と言うことになる。

 桃にしてももうその一番の旬を過ぎてしまっている。こちらも今年はまだ食べていない。枇杷ほどには旬の時期が狭くはないので、まだそれなりのものを味わうこともできようが、どうせ食べることもないまま夏が過ぎるだろう。

 枇杷にせよ桃にせよ食べ方はいろいろあるが、やはり果物を食べたという気分が一番に味わえるのは、生のまま、それもほとんど調理をせず、せいぜい皮を剥き小口に切る程度で食べるやり方だろう。つまり、桃を桃として食べるやり方である。最も単純な食べ方であるが、実はその中にさまざまな流儀がある。考えられているほど単純なことではないのだ。桃をどう食べるかでその人間の味覚の質と性格がおおまかに把握できると言っても過言ではない。

 中でも一番手をかけないのは、桃の実の表面を軽く拭いてやるか、あるいは弱めの流水で流してやり、皮も剥かずにそのままかぶりつくというやり方である。要するに丸かじりである。これはいただけない。味に疎い人間はいかにも通好みの食べ方だと思うかもしれないが、本当に桃の味を知っているならばこんな食べ方はしない。桃の実において最も味がよいのは、皮のごく裏の部分の果肉なのだが、桃の皮はあれでなかなか厚みがありしっかりしている。皮も剥かずに歯を立てたのではそこの一番おいしい部分が皮ごと潰されてだいなしになってしまう。こんな食べ方をする人間は食に対する造詣か、愛情か、味覚の鋭敏さか、人間性の細やかさか、その少なくとも一つ以上に重大な欠陥があるということになるだろう。人によばれてもてなしを受けたとき、さあかぶりつけと言わんばかりにそうした皮つきの桃が何もなしに出てきたなら、あなたは憤然と席を立つべきである。桃だけは傷つけないよう大事に持っていくのは忘れずに。そのような供応をする人間は、人をもてなすことにおいて最も大切な心配りができておらず、ただ形だけの対応をしているに過ぎない。

 ではナイフで皮を剥くのはどうか。これは論外である。皮ごとかじる人間には、その鈍感さに対して怒りも覚えようが、ここまで来ると怒りを通り越して哀れみすら感じる。先にも書いたが桃で最も味わうべきものは皮の裏の桃の果肉である。それを皮ごとこそげ落としてしまってどうするのか。たいていの果物の皮を剥くのに使われるようなアメリカ人好みの果物ナイフなどは最悪だ。嫌に分厚い割りに切れ味は悪い。柔らかい桃の実にそんなナイフを突き立てたら、そうでなくとも刃の通ったところは潰されてしまう。桃はいかにその実を潰さずに口に入れるかが肝要なのだ。このような食べ方をする人間は哀れむべき白痴であるか、ものを知らない幼児のようなものである。決して刃物を持たせてはならない。

 桃の皮は、丁寧に手で剥くのである。他のところはある程度適当でもそれなり食べられるが、この点だけはおろそかにしてはならない。桃の味を一番左右するところであるからである。皮を剥く前に、桃の実はほどよく冷やしてやる方がよい。皮も剥きやすくなる。かといって冷蔵庫などに入れてはならない。あらかじめ冷蔵庫などでたっぷりとした冷水を作り、大きめのボールにそれを取って、10分から半時間ほど実の大きさにあわせて冷水のボールにつけておくのだ。氷水でもよいが、桃の実が痛むほど冷たすぎてはならない。桃に限らず、バラ科の果物類はこのように冷やすのが一番よい。冷気に大変弱いので冷蔵庫に直接入れるのは絶対に避けるべきである。

 剥く前に他に用意すべきものとしては、まず包丁である。先が細く、刀身がごく薄く、何より良く切れるものでなくてはならない。刃を桃の実に触れるか触れないかというくらいにそっと当てて、軽く1、2センチも引いてやると、さっと皮だけに切れ目が走る。そのくらいの切れ味のものが用意できれば最高だ。ちなみにごく一般的な家庭にある材料で包丁を研ぐ手段があるのだが、今回は面倒なので割愛する。どのような手段であれ、とにかく切れる包丁を用意してくれればそれでいい。なお、もし研ぎたてのものであれば(そうでなくとも余裕があれば)、包丁自体を水にさらして金気を取っておかねばならない。

 用意が整ったら、冷えた桃の実を傷つけないように注意して手に取り、まず包丁の切っ先を使ってへた(木に繋がっていた所)と皮とをはがす。細心の注意をもって丁寧に刃を入れねばならない。実を潰してしまうようでは失格である。切れ目が入った部分が小さければ小さいほどよい。へたの部分を囲むように直径1センチに満たないくらいの円が入ればそれでよい。

 この後は、またどのように桃を供するかによって手順が違う。だがいちばん簡単な丸のままの場合を例に取ろう。

 へたと皮とを離し終えたら包丁の役目は終わりである。包丁で入れた切れ目のあるへたの部分は奥に深くくぼんでおり、慣れるまでなかなか大変だが、その切れ目の部分から皮を剥いてやる。へたを北極とすると、南極に向かってやさしく服を脱がすように、皮をはがしていく。途中で皮が裂けて部分的に残ったりもするが、そうしたものも同じように丁寧にはがす。なれないうちは、あらかじめ南北方向に包丁でいく筋かの切れ目を作っておいてもよい。そのうちに切れ目無しでもできるようになる。このように丁寧に手で皮を脱がしてやれば、実がつぶれることもなく、また皮の裏の実が損なわれることもなく、桃の味を最大限に味わうことができる。

 ところでこのような丁寧なはがし方をしても、桃の実が十分に冷えていなかったり、あるいは逆に冷やしすぎて痛めていたり、また焦って力を入れすぎたり、傷があったりといった原因で、はがした皮の裏にわずかに実が残ってしまうことがある。それを未練がましく舐めたりするのは実に無作法なことである。無作法なことであるが、気持ちはわかる。もしそのような行為に及ぶつもりであれば、そっと目立たないようこちらに背を向けてやっていただきたい。その間わたしは彼方の方に目をやり、遠くの雲のことにでも思いをはせていることとする。

 なおはがした桃の皮は、その桃の素性が確かであれば、軽く陰干しにした後、ピーチティーやジャムにすることもできる。粗悪な桃でやるのはおすすめしない。何より農薬の危険性があるからだ。ジャムにする場合はしっかりと筋切りをしてやること。さもないとゴワゴワと口当たりの悪いものにしかならない。

 皮の問題は以上であるが、桃の抱えるもう一つの難問として核がある。以上のように丸のまま供するのであれば食べる人の好きにすればよいのだが、小口に切ろうとするならば無視できないものとなる。桃の核は硬くまた大きさもあり、その上堅牢な繊維で桃の果肉と抱き合っている。これをはがすのは一仕事である。それゆえに、核をどのように除くかで小口に切るやり方にもさまざまな流儀が生まれる。

 一つ目は乱れ切りにするやり方である。核の部分を避けるようにして薄くそぐように包丁で果肉を落としていく。形は一定せず、大きさもばらつくことになる。ちょうど炒めもの用にジャガイモを7ミリほどに薄切りにしたような、平べったい実がたくさん取れることになる。取られる部分が適当なものになるので、味もまた切り身によってまちまちである。切断面がどうしても大きくなってしまうので、潰される部分も多く、桃の切り方としては下の下に属する。このやり方のよさは誰にでもできることである。それ以外にはあまりない。なお、桃を小口に切る場合は、たいてい皮を剥く前に切っておき、その後に皮を上のようなやり方ではがすことになる。さもないとどうしても包丁を入れるときに、手で支えた部分の実が潰されてしまうことになる。だが、このやり方だと乱雑に切られるためそれも難しい。無精な人間、及び料理の技術に乏しい人間であることを示すような食べ方となる。

 二つ目はくしに切るやり方である。ちょっとしたレストランのデザートなどに出てくる場合や、あるいはこれは料理したものだがケーキなどに使われている桃の実は、たいていこの形に切られている。要領はリンゴなどをくしに切るのとさして変わらない。ただし桃の核の部分を外して斜めに刃を入れる。核を含む円筒形の部分を残すように、順に斜めにくしを取っていくことになる。その意味で一つ目のやり方の発展形とも言える。くしをとった後、それぞれの背についた皮を丁寧にはがしてやる。形も大きさも均一で、そこそこ整った実が取れる。欠点は、まず斜めにくしを取るというコツを知らないとできないことであり、中心の核まわりの部分がだいぶ無駄になるということである。特に調理用の核抜き器(金属でできた円筒を核の部分に突き刺して、上下の果肉ごと核を抜く器具)を使った場合は最悪だ。その器具の性質上、多くの部分が無駄になる上、獰猛な器械が通った後の部分の実はこれ以上なく潰されてしまっている。このような食べ方をする人間は、見てくれや形ばかりを気にして実質の伴わない形骸的な輩か、あるいはレストランや調理学校、文化センターなどで教えられたやり方をすることしかできないマニュアル人間ということである。ただし手早く桃を処理できるので、業務で桃を扱う人にとっては無視できない方法でもある。

 最後は、桃の核を避けずに、くしに切るやり方である。これには二通りがある。一つ目はものすごく切れ味のよい包丁と、それに輪をかけてすばらしい包丁技術がある人のためのやり方。丸ごとの桃の実の、ちょうどお尻になっている線にそって正中に、核ごと、一気に桃の実を断ち割るのである。確かに桃の核はその線にそって割れるようにできてはいるが、桃の実を一切潰さずに、核を両断するのは相当の技術が要求される。それができる人がいるとは聞いたことはあるのだが、自分で完全に成功したことは未だわたしもない。

 もう一つはそれができない人のためのものである。同じようにお尻の線からまっすぐに核に向かって包丁を引く。このときに良く切れるものを使わなければ、皮に引きずられて実がいくらかつぶれてしまう。ためらいがあってもだめである。一息に、しかしゆっくりと、すっと包丁を引くのである。すると包丁の刃が核に当たる。核の周りを一周するように包丁を入れてやる。それからへたとかわとの間に切れ目を入れてやるのだが、丸ごと食べる場合の時に説明したよりも深く包丁を入れるのが肝要である。へたはそのまま核に繋がっているのだ。そのへたと、皮だけではなく果肉との間を包丁ではがしてやる必要がある。それからもう一度、お尻につくった断層に包丁を差し込み、その腹を使って、二つの実を分けてやる。桃の実が硬いと比較的楽に分けることができる。柔らかい桃の実だと、核のまわりの果肉がえぐれてしまうことが多い。包丁の腹をてこのように使うので、それに面した部分がつぶれてしまいがちである。この犠牲をいかに少なく行うかがこの流儀の一番大事なところである。へたと果肉との切り離しがしっかりとできているほど成功しやすく、最初の刃入れやへたの切り離しがいいかげんだとどうしても力任せになり、桃の実に負担をかけることになる。

 どちらのやり方にせよ、これで皮と核のついたままの、桃の半身が二つできたことになる。あとはもう楽なものである。まず核を外す。核は太い繊維で果肉を抱き込んでいるので、包丁の先を使い外科手術のような丁寧さで外してやる。すると核のない、その部分の凹んだ半身が二つになる。それからくしに引く。二つ目のやり方とちがって、その中心部分、かつて核のあったところが凹んだくしができることになる。最後に背に残った皮を丁寧にはがす。

 核を割る技術のない人の場合(多くはそうだろう)、後者のやり方を取るので、どうしても包丁の腹が触れる部分が潰れてしまうことがあるだろう。人のもてなしとして出す場合は、その部分を除いてしまうか自分用にするとよい。

 切り終えたらなるべくすばやく食卓に出す。この間に間断があってはならない。桃の実がぬるくなり、色と味が悪くなり、切断面が乾き果汁が流れる。皿は桃の実にあわせて軽く冷やしておく。水気は丁寧にふき取らねばならない。それ以外はうるさく言うつもりはないが、桃の実色にあわせたものを用意できれば最高である。食器は食べやすければ何でもよい。フォークだろうがスプーンだろうが楊枝だろうが、あるいは箸であろうがかまわない。注意した方がいいこととしては、安物のプラスチックは避けて欲しい。独特の味と臭いが桃を損なう。竹楊枝もやめたほうがいい。あわせる食べ物によってはよい香りとなるのだが、竹の臭いは桃にはあわない。金属臭の薄いフォークやスプーン(ステンレスなど、銀器があれば最高だろう)、あるいは匂いのあまりない、品のよい木箸か楊枝でいただきたい。

 

 

 
雨の中の猫
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